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日本文化を見直す
-Japanese Culture as a Solution-



第1章

東洋と西洋

思考は、しばしば言語に制約されるといいます。
文化が、人間の思考の賜物であるとするならば、
文化もまた、その固有の言語の賜物であるといえます。

第1章では、まず、日本語と英語の根源的な違いから、東洋と西洋の根源的な相違を探っていくことにします。




§1 「ことば」と文化

中学校で英語を学習し始めた時、英語の文章は、何と何で始めると習ったでしょうか?

そうです。 「主語」と「動詞」で始めると習ったはずです。

でも、なぜ、英語の文章は、主語と動詞で始めなければならないのでしょうか?

例えば、日本語はどうでしょうか?

「私は、昨日、大阪に行きました。」 という文章があったとします。

これが、「昨日、私は、大阪に行きました」としても意味は通じます。

また、さらに、「大阪に昨日、私は、行きました。」でもOKであれば、「行きましたよ、昨日、大阪に、私は」でもOKなはずです。

日本語の場合、語順というものがほとんどなく、名詞の前に形容詞がくるという語順以外、ほとんど決まっていません。

それに比べて英語は、まったく違います。

先の日本語の文書、「私は、昨日、大阪に行きました」を英語に訳すと
どうなるでしょうか?

英訳: I went to Osaka yesterday.

となるはずです。例えば、この文章を日本語のように、順序を入れ替えるとどうなるでしょうか?

英訳: Osaka went to I(me) yesterday.

こうなると、大変です。「大阪が、昨日、私のところに来た」という意味になってしまいます。

つまり、英語は、語順で決まる言語だということなのです。

英語の文章は、必ず、主語と動詞ではじめることが、あらかじめ決められた言語なのです。

では、なぜ、英語の文章が、Subject・主語とVerb・動詞ではじめなければならないのでしょうか?

そのためには、英語の文章規則である、所謂文法の背景にある構造である、ロジックを理解する必要があります。

ロジックとは何か?

ロジックを日本語に訳すと、通常、「論理」と訳されます。よく、日本語でも、「論理的な話」といった言い方がされますが、例えば、「論理的な話」とはどんな話が論理的な話でしょうか?別の言い方をすれば、「筋の通った話」とも表現されます。では、次に、「筋の通った話」とはどんな話でしょうか?

「今日雨が降ったのは、私が今朝寝坊したからである」

この文章は、果たして筋がとおっているでしょうか?
いいえ、通っていません。

「小泉首相が人気があったのは、改革をしてくれるという期待があったからです。」

これは、どうでしょうか?
筋が通っています。

こうしてみてみると、「筋が通った話」というのは、「原因と結果が明確な話」であると気がつきます。「原因と結果」すなわち、「因果関係が明確な話」ということになります。

また、因果関係が明確であるということは、少し飛躍しますが、責任の所在が明確であるということにもなります。

さて、ここまで、くれば、もう明確ですね、
なぜ、英語が主語・動詞の語順で必ず始めるか・・・

そうです! 英語の文の構造である、S+V・・・主語・動詞の語順とは、いわば、最小限のロジック、ある動作が「誰」また「何」によって為されたかという、「因果関係の明示」であったというわけなのです。

それは、ひいては、動作主の明示、つまり、責任の所在を明示しない限り発話すべからずという構造を義務付けている言語であるともいえるわけです。この点が日本語と大きく異なる点でもあります。

日本語では、むしろ、先の例文でも、主語をとって発話しても十分通じる日本語の文章になります。

この主語の明示と、語順に西洋文化を読み解く鍵があるのです。

次回は、東洋と西洋 §2 主語のなぞ です。  次へ



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